ショートケーキのような
小さな美術館
小野が亡くなったあと、遺族から作品100点・住居・土地の寄贈を受け、小野忠弘の人物・芸術を継承する施設として整備しようという声があがりました。
そこで、住居兼アトリエを改修し、「BLUE CAKE(ブルーケーキ)」の愛称を持つ新しいギャラリーを加え、小さな美術館「ONOメモリアル」が2005年(平成17)10月22日に誕生しました。
小野忠弘について
青森県弘前市に生まれ、その人生のほとんどを三国ですごした現代美術作家 小野忠弘。
小野は、ジャンク・アート(廃品芸術)を中心に、天才的な感性で創作活動を続け、多くの作品を残しました。また、三国高校の美術教諭として、熱心な育成活動を行い、多くの優秀な芸術家を輩出しました。
経 歴
青森県弘前市に生まれる。
東京美術学校彫刻科に入学。鳥海青児の知遇を受ける。
三国町に居を定め、三国高校の美術教諭となる。
三国へ疎開していた詩人三好達治との交流が始まる。
ロンドン近代美術館主催による「国際彫刻展」に「無名政治犯」を出品し、日本人で初めて佳作賞を受賞。テートギャラリーでコレクションになる。
フランスのミッシェル・タピエのキュレーションによる「世界・現代美術展」(ブリヂストン美術館)に出品し、タピエは“世界に通じる作品”と絶賛。
「今日の新人57人展」(朝日新聞社主催)に「ムチンのY」で新人賞を受賞。
南画廊(東京)で数回の個展を開催。(~1962)
第5回「サンパウロ・ビエンナーレ展」に出品。アメリカの雑誌「LIFE」で「アンチプロトン」が紹介され、ジャンクアートの世界の7人に選ばれて国際的な評価が高まり、活躍の場が世界に広がる。
第30回「ベネチアビエンナーレ展」に出品。
建畠覚造、荒川修作、篠田守男、山口勝弘、村岡三郎、昆野恒、向井良吉、毛利武士郎らと「集団現代彫刻」を結成。その後、東京セントラル美術館、ときわ画廊などで個展を多数開催。
8月、三国のアトリエにて逝去(享年88歳)。
施設紹介
ギャラリー
蒼い海を見下ろす丘の上に生まれた、不思議で小さなギャラリー「BLUE CAKE」。この場所をアトリエに選んだ小野が最も好きだった色、コバルトブルーのタイルを建物の全面に貼り、自然光を取り込む大きな窓には、ピンクゴールドのサッシがはめ込まれています。その窓はいつも開放されていて、柔らかな三国の光が燦燦と入ります。
旧居
1973年(昭和48)に三国高校を退職した小野は、瀧谷寺の奥にある畑地の中に安山岩の露出した場所を見つけ、市街地から古蔵を移転改築して住まいとしました。三国港を見下ろし日本海を遠く望む丘の上に設けたこの住居は、小野の古「いにしえ」に対する畏敬の念を込めたアイディアが細部に凝らされ、まさに建物そのものが小野の作品といえます。